強豪クラブへの進化を匂わせるサガン鳥

 

今日紹介するのはサガン鳥栖!!

 

佐賀県鳥栖市をホームタウンとするサガン鳥栖は、1999年のJ2創設時のチームの1つ。そこから13年。2011年シーズンを2位で終え、初のJ1昇格を果たしました。

 

未だ、タイトルを獲得したことはありませんが、2012年と2014年はシーズン5位、2013年は天皇杯ベスト4の実績があります。

 

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チームを支える「サガンティーノ

水色とピンクのチームカラーが印象的なサガン鳥栖。そんなサガン鳥栖のサポーターは通称「サガンティーノ」と呼ばれ、その多くがチームのサポーターズナンバーである17番のユニフォームを着て応援しています。

 

11人でプレーするサッカーでは、「12番目の選手」という意味を込めて、サポーターズナンバーを12番とするのが一般的ですが、サガン鳥栖Jリーグで唯一、12番以外の背番号をサポーターズナンバーにしています。

 

その理由は、サガン鳥栖というチームにとって、1月7日が忘れてはいけない特別な日だからなんですね。

 

 

「佐賀にもプロサッカーチームを」

1月7日は、故 坂田道孝氏の命日なんですね。

彼はサガン鳥栖の前身である「鳥栖フューチャーズ」の県内誘致、そしてサガン鳥栖設立に奔走した佐賀県サッカー協会の元理事長であり「サガン鳥栖の生みの親」ともいえる人物です。

 

当時、12億円にものぼる巨額の赤字による経営難に陥っていたチームの存続の為に奔走し、5万人以上の署名を集めJリーグの幹部達に「佐賀にもプロサッカーチームを!」という熱意を伝え、サガン鳥栖の設立に尽力した偉大な人物です。

 

決して恵まれたチーム環境ではなかったサガン鳥栖も、プロサッカーチームとして成長を続け、今ではJ1上位争いに絡んでくるチームへと進化しました。

 

今季はGK権田修一選手やDF小林祐三選手、MF水野晃樹選手、小川佳純選手などといった元日本代表の面々を補強し、初タイトルに向け邁進しています。

 

それでは、そんなサガン鳥栖と選手達を何人か紹介していきましょー!!

 

日本屈指のセンターフォワード

まずはチームのキャプテンであり、日本人離れした屈強なフィジカルから日本屈指のセンターフォワードの呼び声高い豊田陽平選手

 

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出身高校は石川県の名門、星稜高校

日本代表のあの本田圭佑選手と同じで1年先輩です。ちなみに星稜高校は元プロ野球選手の松井秀喜選手の出身高校でもありすが、豊田選手は高校時代、松井選手が記録した体力測定の記録を更新していたそうです。

高校時代から恵まれた身体能力を発揮していたんですね。

 

日本代表に招集された経験もあり、速さ・高さ・巧さの三拍子揃った万能型のFWとして高い評価を得ています。

 

 

今季フル出場でゴールを守る鳥栖の新守護神。嫁は元美人モデル!

 

 今シーズン、オーストリアのSVホルンからサガン鳥栖に移籍して元日本代表の権田修一選手

 

2014年のブラジルW杯では第3GKとしてメンバーにも選ばれている元日本代表GK

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現在28歳という年齢を考えると、まだまだ日本代表の正GKの座を奪い取るチャンスはありそうですね。

 

各年代別の代表でも常に日本のゴールマウスを守ってきた選手です。

 

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そんな権田選手ですが、2010年に5年の交際をへて元モデルの篠田裕美さんと結婚しています。お付き合いは高校時代かららしく、奥さんは権田選手の1つ下の学年の後輩だっだみたいですね。

 

2013年には第一子の男の子が誕生しています。

 

 

リーグ屈指のサイドバックに成長した吉田豊選手

 

つづいては、鳥栖の不動の左サイドバック

吉田豊選手!!

 

日本代表のサイドバックは海外組の長友選手や酒井宏樹選手、酒井高徳選手など非常に層が厚く、残念ながら吉田豊選手は日本代表に招集されていませんが、強靭なフィジカルと無尽蔵なスタミナはJリーグの中でも突出しています。

 

U-17日本代表や五輪日本代表には招集された実績もあり、国際大会の出場経験は十分あります。

 

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海外のクラブも獲得に興味を示していた程ですから、このままJリーグでの活躍を続ければ、今の日本代表のサイドバックのポジション争いに割って入ってくる事もあるかもしれませんね。

 

 

マリノスユースの最高傑作!

 

最後に紹介するのは、今シーズン前半戦、鎌田大地選手、原川力選手とともに3人で鳥栖の中盤のパスワークを支えていた小野裕二選手!!

 

横浜F・マリノスの下部組織育ちの小野裕二選手は、2010年にマリノスユースに在籍しながら、マリノスのトップチームに登録され、シーズン17試合に出場し3ゴールをマークしました。2011年にはトップチームに正式昇格となり、高卒ルーキーながら背番号10を任されました。

 

ユース時代は2009年に全日本ユース決勝で3ゴール2アシストの大活躍で勝利に貢献するなど、実力は群を抜いていました。

 

2011年、2012年とコンスタントにリーグ戦に出場し、20歳でベルギー1部のスタンダール・リエージュに完全移籍しました。

 

海外移籍後は、左膝靭帯断裂の大怪我などもあり満足のいく活躍は出来ませんでしたが、2017年にサガン鳥栖に移籍し、5年ぶりにJリーグに復帰しました。

 

マリノス時代からの持ち味であるスピードを活かしたドリブルに加え、周りをサポートするような動きも増え、プレーの幅が広がりより魅力的な選手になりました。

 

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抜群のコンビネーションで鳥栖の攻撃陣をともに牽引していた鎌田大地選手が、6月にドイツ1部のフランクフルトに移籍してしまったので、後半戦はより一層、小野選手の活躍に期待せざるを得ません。

 

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鎌田選手の壮行セレモニーの様子。

一緒に映るのはご両親と2017年5月に入籍したばかりの奥さん。

 

 

 

サガン鳥栖のさらなる飛躍は日本サッカーの成長の一つの証

 

J2創設時の10チームの内の1つであったサガン鳥栖。J1昇格は10チームの中で一番遅く、クラブの資金力もありませんでした。

 

そんなサガン鳥栖も1歩ずつ成長を進め、J1の各クラブとしのぎを削るチームへと進化しました。

鎌田大地選手の移籍により、ドイツ1部の海外クラブに選手を輩出するまでに至りました。

 

わずか15〜20年という年月でここまでの成長を遂げたのも、サポーターである「サガンティーノ」の応援とサポートを原動力にしてきたからでしょう。

 

地域に根付いたプロサッカーチームとして、まさにJリーグのコンセプト、原点を体現しているチームの1つですね。

 

サガン鳥栖がJ1優勝する日もそう遠くないかもしれませんね。