鹿島がセビージャに勝利!「新星」安部裕葵が活躍
Jリーグワールドチャレンジ!!
Jリーグ中断期間中に、
浦和対ドルトムント!
セレッソ大阪対セビージャ!
と、海外の強豪クラブが来日しプレシーズンマッチでJリーグを盛り上げていましたね。
試合結果は、
浦和は2-3、セレッソは1-3とともに惜敗。
シーズン開幕前のチームが相手とは言え、やはり海外の強豪クラブは強いなーというのが印象でしょうか。
一番の盛り上がりは、浦和対ドルトムント戦後の某女性議員さんの下らない炎上騒ぎでしょうか、、、
そんなJリーグワールドチャレンジの最後の対戦カードが、22日に行われた鹿島アントラーズ対セビージャの一戦!!
セビージャといえば、ヨーロッパリーグ3連覇の実績があるスペインの強豪クラブ。スペインといえばバルセロナやレアル・マドリードが日本では有名ですが、セビージャも毎シーズン上位に名を連ねるチームの1つです。
17日に行われた現在リーグ首位のセレッソ大阪との一戦でも圧倒的なボールポゼッションで3-1と快勝。スコア以上の力の差を感じるような試合展開で、世界の強豪クラブがJリーグのチームに実力の違いを見せつけるような勝利でした。
Jリーグ屈指の試合巧者、鹿島アントラーズがまたしても世界相手に奮闘!
なかなかJリーグのチームが世界の強豪クラブと対等に渡り合える試合は見られませんが、今回鹿島がやってくれましたね!
鹿島といえば昨年のFIFAクラブW杯決勝でのレアル・マドリードとの一戦が記憶に新しいですね。
結果は延長戦の末、2-4で敗れてしまいましたが、あの「世界最強チーム」レアル・マドリードを本気にさせた戦いぶりは世界中に衝撃を与えました。
Jリーグのチームが世界を驚かせたという点でいえば2008年のFIFAクラブW杯準決勝のガンバ大阪対マンチェスター・U戦以来といった感じでしたね。(結果は3-5でガンバ大阪は破れました。鹿島対レアル戦でハットトリックをきめたクリスティアーノ・ロナウドが当時マンU所属で2得点の活躍。)
話は戻して、鹿島アントラーズですが、
クラブW杯準優勝の実績は決してたまたまではなかったですね。
シーズン前で体が仕上がっていない相手とはいえ、ヨーロッパリーグ3連覇のセビージャを相手に2-0の完勝!
Jリーグ最多の16個のタイトル、リーグ優勝最多8回を誇る「J最強の試合巧者」であり、クラブの伝統でもある「勝者のメンタリティ」が根付いた鹿島アントラーズらしい勝利で世界を驚かせましたね。
鹿島アントラーズ期待の新たな若手選手
セビージャ相手に見事な勝利を収めた鹿島アントラーズですが、今回はその中から1人の選手をピックアップして紹介したいと思います。
2ゴールの大活躍で、ヨーロッパ移籍の噂もある鈴木優磨選手ももちろん紹介したい選手の1人ではあるですが、
今回は、途中出場から鈴木選手の先制点をアシストし、MOMに輝いた 安部裕葵選手!!
キレキレのドリブルでセビージャ相手に局面を打開する個の力を見せつけた鹿島アントラーズ期待の若手注目株はなんと18歳!!
試合後のコメントでは「身体が自然に動いた」と言ってのけた鹿島期待のルーキーの経歴を少しまとめてみましょう。
生まれは1999年1月、東京五輪世代ですね。
U-20の代表候補にも選ばれた実績がありますが、レギュラーにはまだ定着していません。
出身高校は 広島県の瀬戸内高等学校。2016年に全国高校総体に出場しており、 安部選手は大会優秀選手の1人に選ばれています。
中学時代はS.T.FCというクラブに所属していたのですが、このS.T.FCを皆さんご存知ですか?
日本代表本田圭佑選手が代表を務めるクラブチーム
正式名所はSOLTILO FC(ソルティーロ FC)といい、本田圭佑選手が自身のプロデュースで2012年に発足したクラブチームです。
アカデミーは全国各地にあり、安部選手は東京都清瀬市で活動するS.T.FC出身のようです。
このソルティーロFCからJリーガーになったのは安部選手が第1号のようで、おそらく本田圭佑選手も安部選手の活躍を願っていることでしょう。
若干18歳ながら、鮮烈なプロデビューを飾った安部裕葵選手!!
数年後には日本代表のエースに成長しているかもしれませんね。
強豪クラブへの進化を匂わせるサガン鳥
今日紹介するのはサガン鳥栖!!
佐賀県鳥栖市をホームタウンとするサガン鳥栖は、1999年のJ2創設時のチームの1つ。そこから13年。2011年シーズンを2位で終え、初のJ1昇格を果たしました。
未だ、タイトルを獲得したことはありませんが、2012年と2014年はシーズン5位、2013年は天皇杯ベスト4の実績があります。
チームを支える「サガンティーノ」
水色とピンクのチームカラーが印象的なサガン鳥栖。そんなサガン鳥栖のサポーターは通称「サガンティーノ」と呼ばれ、その多くがチームのサポーターズナンバーである17番のユニフォームを着て応援しています。
11人でプレーするサッカーでは、「12番目の選手」という意味を込めて、サポーターズナンバーを12番とするのが一般的ですが、サガン鳥栖はJリーグで唯一、12番以外の背番号をサポーターズナンバーにしています。
その理由は、サガン鳥栖というチームにとって、1月7日が忘れてはいけない特別な日だからなんですね。
「佐賀にもプロサッカーチームを」
1月7日は、故 坂田道孝氏の命日なんですね。
彼はサガン鳥栖の前身である「鳥栖フューチャーズ」の県内誘致、そしてサガン鳥栖設立に奔走した佐賀県サッカー協会の元理事長であり「サガン鳥栖の生みの親」ともいえる人物です。
当時、12億円にものぼる巨額の赤字による経営難に陥っていたチームの存続の為に奔走し、5万人以上の署名を集めJリーグの幹部達に「佐賀にもプロサッカーチームを!」という熱意を伝え、サガン鳥栖の設立に尽力した偉大な人物です。
決して恵まれたチーム環境ではなかったサガン鳥栖も、プロサッカーチームとして成長を続け、今ではJ1上位争いに絡んでくるチームへと進化しました。
今季はGK権田修一選手やDF小林祐三選手、MF水野晃樹選手、小川佳純選手などといった元日本代表の面々を補強し、初タイトルに向け邁進しています。
それでは、そんなサガン鳥栖と選手達を何人か紹介していきましょー!!
日本屈指のセンターフォワード
まずはチームのキャプテンであり、日本人離れした屈強なフィジカルから日本屈指のセンターフォワードの呼び声高い豊田陽平選手
出身高校は石川県の名門、星稜高校!
日本代表のあの本田圭佑選手と同じで1年先輩です。ちなみに星稜高校は元プロ野球選手の松井秀喜選手の出身高校でもありすが、豊田選手は高校時代、松井選手が記録した体力測定の記録を更新していたそうです。
高校時代から恵まれた身体能力を発揮していたんですね。
日本代表に招集された経験もあり、速さ・高さ・巧さの三拍子揃った万能型のFWとして高い評価を得ています。
今季フル出場でゴールを守る鳥栖の新守護神。嫁は元美人モデル!
今シーズン、オーストリアのSVホルンからサガン鳥栖に移籍して元日本代表の権田修一選手
2014年のブラジルW杯では第3GKとしてメンバーにも選ばれている元日本代表GK
現在28歳という年齢を考えると、まだまだ日本代表の正GKの座を奪い取るチャンスはありそうですね。
各年代別の代表でも常に日本のゴールマウスを守ってきた選手です。
そんな権田選手ですが、2010年に5年の交際をへて元モデルの篠田裕美さんと結婚しています。お付き合いは高校時代かららしく、奥さんは権田選手の1つ下の学年の後輩だっだみたいですね。
2013年には第一子の男の子が誕生しています。
リーグ屈指のサイドバックに成長した吉田豊選手
吉田豊選手!!
日本代表のサイドバックは海外組の長友選手や酒井宏樹選手、酒井高徳選手など非常に層が厚く、残念ながら吉田豊選手は日本代表に招集されていませんが、強靭なフィジカルと無尽蔵なスタミナはJリーグの中でも突出しています。
U-17日本代表や五輪日本代表には招集された実績もあり、国際大会の出場経験は十分あります。
海外のクラブも獲得に興味を示していた程ですから、このままJリーグでの活躍を続ければ、今の日本代表のサイドバックのポジション争いに割って入ってくる事もあるかもしれませんね。
マリノスユースの最高傑作!
最後に紹介するのは、今シーズン前半戦、鎌田大地選手、原川力選手とともに3人で鳥栖の中盤のパスワークを支えていた小野裕二選手!!
横浜F・マリノスの下部組織育ちの小野裕二選手は、2010年にマリノスユースに在籍しながら、マリノスのトップチームに登録され、シーズン17試合に出場し3ゴールをマークしました。2011年にはトップチームに正式昇格となり、高卒ルーキーながら背番号10を任されました。
ユース時代は2009年に全日本ユース決勝で3ゴール2アシストの大活躍で勝利に貢献するなど、実力は群を抜いていました。
2011年、2012年とコンスタントにリーグ戦に出場し、20歳でベルギー1部のスタンダール・リエージュに完全移籍しました。
海外移籍後は、左膝靭帯断裂の大怪我などもあり満足のいく活躍は出来ませんでしたが、2017年にサガン鳥栖に移籍し、5年ぶりにJリーグに復帰しました。
マリノス時代からの持ち味であるスピードを活かしたドリブルに加え、周りをサポートするような動きも増え、プレーの幅が広がりより魅力的な選手になりました。
抜群のコンビネーションで鳥栖の攻撃陣をともに牽引していた鎌田大地選手が、6月にドイツ1部のフランクフルトに移籍してしまったので、後半戦はより一層、小野選手の活躍に期待せざるを得ません。
鎌田選手の壮行セレモニーの様子。
一緒に映るのはご両親と2017年5月に入籍したばかりの奥さん。
サガン鳥栖のさらなる飛躍は日本サッカーの成長の一つの証
J2創設時の10チームの内の1つであったサガン鳥栖。J1昇格は10チームの中で一番遅く、クラブの資金力もありませんでした。
そんなサガン鳥栖も1歩ずつ成長を進め、J1の各クラブとしのぎを削るチームへと進化しました。
鎌田大地選手の移籍により、ドイツ1部の海外クラブに選手を輩出するまでに至りました。
わずか15〜20年という年月でここまでの成長を遂げたのも、サポーターである「サガンティーノ」の応援とサポートを原動力にしてきたからでしょう。
地域に根付いたプロサッカーチームとして、まさにJリーグのコンセプト、原点を体現しているチームの1つですね。
サガン鳥栖がJ1優勝する日もそう遠くないかもしれませんね。
リーグ屈指のFW陣を揃えたヴィッセル神戸
今日紹介するチームはヴィッセル神戸!
いや、てかヤバくないですか!このFW陣!!
完全にJ1屈指のタレント揃いです。
まずは何と言っても7月に加入が決まったこの選手!!
元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキー選手!
右です(笑)
ちなみに左の背の高い選手が、同じくヴィッセル神戸の加入が決まった元日本代表のハーフナー・マイク選手です。
いきなり、ビッグネームが2人も加入して興奮気味のヴィッセルサポーターも多いのではないでしょうか。
第18節終了時点で9位のヴィッセルですが、後半戦の巻き返しが期待されます。
そんなヴィッセル神戸ですが、ポドルスキー選手とハーフナー・マイク選手の2名の加入によりFW陣の顔ぶれがえげつない事になっています(笑)
まずは昨季のヴィッセル神戸からクラブ初のJ1得点王に輝いた レアンドロ選手!!
32歳のブラジル人は、2007年もヴィッセル神戸に在籍し、当時日本代表の大久保嘉人選手(現FC東京所属)と2トップを形成し、 J1リーグ戦32試合に出場し15得点をマークした実績もあります。
その後、ガンバ大阪や柏レイソルを経て、2015年に7年ぶりにヴィッセル神戸に復帰しました。
J1通算ゴール数87得点は外国人選手の中では6位!(日本人も含めると23位です)
助っ人ブラジル人としての実績はピカイチですね!!
さらにキャプテンとしてチームを引っ張る渡邉千真選手!!
出身高校は長崎の名門、国見高校!
高校時代は冬の全国選手権で優勝!!インターハイでは得点王にも輝いています。
大学は早稲田大学に進学し、2年連続関東学生リーグ得点王を獲得しています。
プロ入り後、横浜Fマリノス、FC東京を経て2015年にヴィッセル神戸に加入しました。
これまでに何度もシーズン2桁得点を決めており、日本代表経験もあるJリーグ屈指の日本人FWです。
若手の期待はヴィッセルのエースナンバー「 13 」を背負う、ヴィッセル神戸ユース出身の生え抜き小川慶治朗選手!!
日本代表の宇佐美貴史選手や、柴崎岳選手と同じプラチナ世代の彼は、かつて「ミスター神戸」と呼ばれた永島昭浩選手や、元日本代表の播戸竜二選手、大久保嘉人選手が付けていた背番号「 13 」を引き継いでいます。
2015年、2016年シーズンはともに怪我に悩まされ満足のいく結果は残せませんでしたが、
2012年にはクラブ最年少記録の19歳388日の若さでハットトリックを記録し、降格によりJ2での戦いとなった2013年シーズンはチームトップタイの16得点をマークし1年でのJ1復帰に貢献するなど、実績は申し分ありません。
さらにもう1人、日本代表経験がありポルトガルの名門スポルティング・リスボンにも在籍していた田中順也選手!
Jリーグ屈指のイケメンFWとして度々、メディアでも紹介される田中順也選手の持ち味は何と言っても、利き足である左足から放たれる豪快なシュート!
屈強なフィジカルと繊細なテクニックを併せ持った万能型ストライカーです。
いやー、イケメンですね!
よくファッション誌でも取り上げられたりしています。
ちなみに、奥さんはモデルの宇井愛美さんです。
美男美女夫婦ですね。
2014年に長女が誕生しています。
ということで、
元日本代表3人に昨季の得点王、さらには元ドイツ代表のエースストライカーを揃えたヴィッセル神戸の攻撃陣が後半戦どれだけゴールを決め、ヴィッセルを勝利に導くのか!?
リーグ後半戦はヴィッセル神戸の攻撃陣から目が離せません!!!
12年ぶりに咲いた桜 セレッソ大阪の歴史
どーも!
今日紹介するのは、ピンクのチームカラーでお馴染み【セレッソ大阪】
今シーズン現在、18節終了時点でJ1首位にたっています!!
悲願の初Vもあるのでは!? と期待しているセレッソファンも多いのではないでしょうか。
そんなセレッソ大阪をキャプテンとして引っ張るのはこの人!
柿谷曜一朗選手!!
背番号はチームのエースナンバー【8 】
セレッソにとって、この背番号【 8 】は
特別な番号なんですね。
さらっーとセレッソの背番号【 8 】の系譜を振り返ってみましょー
初代8番はあのミスターセレッソ!
セレッソ大阪にとって背番号【 8 】を特別なものにしたのは間違いなくこの選手です。
1997年〜2008年までの長きに渡り、【 8 】を背負い、「ミスターセレッソ」と呼ばれ、セレッソ一筋でサッカー選手としてのキャリアを終えた森島寛晃選手!!
2002年の日韓W杯でも日本代表の背番号8を背負い、チュニジア戦では見事ゴールを決めています!
「モリシ」の愛称で親しまれセレッソの象徴ともいえる彼は、2008年に現役を引退し、現在はセレッソ大阪のチーム統括部でチームの強化に携わっています。
セレッソの8番から日本の10番に成長した香川真司選手!
森島寛晃選手の現役引退後、セレッソの【 8 】を引き継いだのは、現日本代表のエース香川真司選手です。
2009年〜2010年の約1シーズン半、香川選手は背番号8を背負い、55試合で34ゴールをマーク。2009年はJ2得点王に輝きました。
3代目は日本屈指の司令塔
香川選手がドイツのドルトムントに移籍後、2011年シーズンは欠番となっていた背番号【 8 】を2012年に引き継いだのは清武弘嗣選手!
ドイツのニュルンベルクへの移籍に伴い、付けていた期間は短いですが、持ち前のテクニックと正確なキック精度でセレッソの攻撃陣を牽引しました。
今シーズンは4年半ぶりにセレッソに復帰しています。ちなみに背番号は【46】です。
現背番号【 8 】はあの天才!
そして、4代目となる背番号【 8 】を継承し、キャプテンとして今シーズンのセレッソの躍進を支えているのが 柿谷曜一朗選手!!
4歳からセレッソ大阪の下部組織で育った彼は、クラブ史上最年少の16歳でトップ契約を結び、2006年のU-17アジア選手権では大会MVPの活躍で日本を12年ぶりの優勝に導きました。
多くのサッカーファンが彼の才能に期待をしていましたが、度重なる遅刻などが原因で当時セレッソ大阪を指揮していたレヴィー・クルピ監督に「問題児」の烙印を押され、下位クラブへのレンタル移籍を経験することになってしまいます。
しかし、移籍先の徳島ヴォルティスでプロ選手としての自覚、責任を学び成長した柿谷選手は、2012年に古巣セレッソに復帰。
2013年〜2014年にかけてチームのエースナンバー【 8 】を背負った柿谷選手は、
その後、ドイツやスイスの海外クラブでの経験を経て、2016年に再び古巣セレッソに復帰しました。
2016年から再び背番号【 8 】を引き継いだ柿谷選手は、現在セレッソのキャプテンとしてチームを象徴する選手として活躍しています。
ちなみに、柿谷選手の奥さんはタレントとしてバラエティ番組などに出演している丸高愛実さんです。
川崎フロンターレがなんか他のチームよりイケメン揃えてる問題
紹介するのは【川崎フロンターレ】
チームを代表する選手といえば、
やはり、中村憲剛選手でしょうか!
今シーズンで37歳になる元日本代表のベテラン選手ですが、まだまだJリーグでは輝きを放っていますね!
ちなみにですが、
2016年のJリーグ年間最優秀選手(MVP)です!!!
このシーズン、フロンターレは最終節まで優勝争いを繰り広げていましたが、結果は残念ながら2位でした、、、
なんかフロンターレって、リーグ2位とかカップ準優勝とか多い気がします(笑)
ちょっと気になったので調べてみたところ、
リーグ2位で終えたのが、
2008年、2009年、2016年1stレグ
の3回!
ナビスコ杯の準優勝が
2007年と2009年
の2回!
天皇杯の準優勝が
2016年
1回!
いずれもあと一歩のところでタイトルをのがしていますね。惜しい!!
完全にシルバーコレクターのイメージがついちゃってるよね(笑)
なので未だタイトルは1つも取れていません(J2優勝は2回しています)
2004年にJ2優勝でJ1昇格後は降格することなくJ1に残留し続けていますね!
J1とJ2を行き来するようなクラブが多い中、フロンターレのようにJ1昇格以降、毎シーズン上位争いに名を連ねるチームは珍しいような気がします。
強豪クラブへと発展していった見本のようなチームです!!
そんな【川崎フロンターレ】ですが、
チームの公式HPを見てみたところ、
「なんか、イケメン多くね、、、」
っていうのが印象的です!
まずは、大島僚太選手
フロンターレの背番号10は、
正統派の爽やか系って感じですね。
もちろん選手としての実績も素晴らしく、
2016年のリオ五輪ではU-23日本代表の主力として大活躍。
A代表にも招集され、これから日本代表の中心選手へと成長していくことが期待されています。
川崎フロンターレ所属の日本代表選手といえば小林悠選手
2016年シーズンに元日本代表の大久保嘉人選手と共にフロンターレのツートップの一角に定着した小林悠選手は、
このシーズン、クラブ記録となるリーグ戦6試合連続ゴールを記録するなどの活躍もあり、シーズン途中の代表戦では初先発も果たしました。
そんな小林悠選手ですが、
2017年シーズンからは、中村憲剛選手に代わり川崎フロンターレの新キャプテンを務めています。
試合中の真剣な表情と、可愛らしい笑顔のギャップが魅力的なイケメン選手です。
女性人気トップは谷口彰悟選手
容姿の魅力は説明不要ですね(笑)
2015年シーズンはチームで唯一全試合フル出場を果たし、日本代表候補にも名を連ね、代表合宿にも呼ばれました。
大津高校→筑波大学を経て、2014年に川崎フロンターレに入団。
高校も大学も強豪校の出身ということで、サッカーエリートな感じがしますね。
ちなみに最近バラエティ番組によく出演されているモデルの泉里香さんと熱愛の噂があります(笑)
うん(笑)
美男美女って感じですね!
最後はちょっとヤンチャそうな金髪がトレードマークの狩野健太選手
静岡学園→横浜Fマリノス→柏レイソルを経て、2016年に川崎フロンターレに移籍してきました。
マリノス時代は今よりも金髪感が強かったです(笑)
中盤のポジション争いが激しく、なかなか出番は多くはありませんが、サッカー王国静岡の名門、静岡学園出身ということもありテクニックはピカイチです!
高校時代は天才と称され、その才能に惚れ込み、Jリーグの複数クラブが獲得に名乗りを挙げていました。
高校時代はちゃんと黒髪でしたね(笑)
以上、川崎フロンターレのイケメン選手を4人紹介しましたが、
フロンターレには他にも、 井川祐輔選手や家長昭博選手といったワイルド系イケメンに加え、
ふろん太くんといったイケメン?マスコットもいます!
そんな、イケメン揃いの強豪チーム【川崎フロンターレ】の本拠地は、等々力陸上競技場!!
川崎市近辺にお住みの人は、是非是非一度は応援に行ってみてはいかがでしょうか!
Jリーグブログ始める
W杯まであと1年なので、それまでに少しでもサッカー通になっておきたい人の為にサッカーブログを始めてみることにしました!
・本田や長友は聞いたことあるけど、日本代表って他にどんな選手がいるの??
・日本ってW杯にはよく出てるけど、いっつもグループリーグで敗退してない??
・ちょっとマイナーな選手やサッカー知識を覚えて1年後のW杯ではサッカー熱で盛り上がってみたい!!!!
そんな人たちに向けて、少しずつ記事を書き続けていきたいと思います。
ということで、早速初めての投稿となる今回のテーマはズバリ!
【そもそもJリーグって何ぞや!?】
今や日本代表に呼ばれる選手のほとんどが、ドイツやイタリアといった欧州のチームに所属してプレーしています。
いわゆる海外組ってやつですね(´∀`)
おそらく1年後のロシアW杯の日本代表メンバー23名も、大半がこの海外組と呼ばれる欧州で活躍している選手たちになるでしょう。
この海外組と区別して【国内組】と言われるのがJリーグでプレーする選手たち。
今回はそんな国内組の選手たちが活躍しているJリーグの歴史をさらっと紹介してみようと思います。
Jリーグが開幕したのは1993年。
ちなみに私は1歳だったのでまったく記憶がございません。
当時の映像でよくテレビでみるのは、まーるいでっかい風船??の中からキングカズこと三浦知良選手がキメキメのポーズでバーーンッ!!と出てくるやつですね。
YouTubeとかにあるかも、、、
(今の20代30代のサッカーファンあの前後の流れはまったく知らない説、、、)
開幕当時のJリーグのチーム数はわずか10チームでした。
ちなみにこの10チームは今では【オリジナル10】略してオリ10(オリテン)と呼ばれています。
Jリーグ開幕から25年目を迎えた2017年現在、このオリジナル10の中でJ2への降格が一度もなく25年間ずっとJ1で戦い続けているチームは、
【鹿島アントラーズ】と【横浜F・マリノス】の2チームのみです!!
個人的には鹿島がJ2に降格するイメージはまったく湧きませんが、マリノスはしれっとJ2に降格しそうな気がしなくもないです。
(マリノスファンの人ゴメンね、、、)
ところでJ1とJ2って何?? と思った方!
簡単にいうと1部と2部です!
ほんと簡単!
ちなみにJ3もあります。
【2017年でJリーグは25年目】
25年目を迎えたJリーグですが、
この間、年間チャンピオンとなった回数が最多のチームは【鹿島アントラーズ】です!
その数、なんと8回!!!!
だいたい、3年に1回ぐらいは鹿島が優勝してるってことです。
優勝回数2位は
【横浜F・マリノス】【サンフレッチェ広島】【ジュビロ磐田】の3チームで、回数は3回です。
いやー、そう考えると鹿島の8回って相当スゴイですね!
なんか最後、鹿島ヨイショの投稿になってしまいましたが、、、、
次回はもう少しJリーグの歴史を振り返りつつ、チーム紹介なんかも出来たらな、と思っています。
それでは!